ほぼライブ【第2日目】中国大陸から僅か2㎞! 金門島を散策

第2日目(令和6年《2024》4月28日)

朝は6時に目が覚める。昨夜のマッサージのお陰で脚が攣ることもなく、疲れもあって熟睡出来たよう。ホテルの前に出て一服するが、空は雨模様。

朝食は近くのセブンイレブンで、サンドイッチ2つとコーヒー牛乳のパックを購入。値段は123元(約600円)とほぼ日本と同価格。

本日参加する金門島ツアーは、朝7時55分にホテル近くの郵便局前に集合。時間ぴったりにツアーバスがやって来る。

初老の運転手兼ガイド氏が話しかけてくるが、何を言っているのかサッパリ分からない。するとガイド氏、翻訳アプリで「中国語が分かりますか?」と訊いてくるので、こちらも翻訳アプリで「残念ながら分かりません」と答えるが、この答えも理解されない様子。他の乗客が見かねてアドバイスを行い、ようやく理解した様子。その後、ガイド氏が何処かに電話をかけてから、8時10分頃にツアーが出発。乗客は、micのほか、いずれみ若い女性4人グループとカップル1組。

雨足が強くなる下、大金門の中心部を抜け、2年前に完成したとの金門大橋を渡って、小金門へと向かう。橋の上からは中国厦門市のビル群が薄っすらと見える。

最初に訪れたのは「将軍堡」。

そこにはガイドとは別の中年男性が待っていて「私は日本語が少し話せます」と言って自己紹介。micのためにわざわざ駆けつけてくれた様子。ただし、本当に日本語は少しだけ、説明はもっぱら翻訳アプリを使用。ちなみに、micが英文で書かれた説明板を読んでいたら、いつの間にか日本語ではなく、英語でのやりとりに変更。

要は、海岸のトーチカ。

なぜ「将軍堡」かというと、蒋経国氏がココで作戦会議を行ったとのこと。

施設内にはサボテンが多く植えられているが、これはサボテンの棘で敵の侵入を妨害するため、とのこと。

以降、移動する際にはグループから外れて、駆けつけてくれたガイド氏に運転する別の車に乗車。

金門大橋が完成するまで、両島を結んでいたフェリー波止場に駐車。

金門の名産の一つであるタロ芋が金門のキャラクター。

フェリー波止場の近くにあるのが「九宮坑道」。硬い花崗岩を掘って作った基地。

中に入ると広いスペース。戦時中は病院スペースだったとのこと。現在は坑道に関する資料展示スペース。

奥に進むと、当時のママの坑道。地面は少しデコボコ。

船を係留する坑道。大潮になると、我々が歩く歩道にまで海水が上昇してくるらしい。

船を係留する坑道の両端は海へと繋がっており、その間にはいくつかの分岐した坑道が掘られている。

次に向かったのは、金門最西端にある「沙渓堡」。

地下深くまで階段を降りていくと、狭い坑道が張り巡らせられている。

入口からかなりの距離(300〜400m)進んだ場所から急な階段を登ると、そこは展望スペース。

右にあるのが坑道からの出口

展望スペースにあるモニュメントの向こうには、雨霧に霞む中国厦門市のビル群が見える。しかし、雨雲が濃くなると、その姿も見えなくなるという天候。

この場所は、インスタグラマーに人気とのこと
戦時中はこんな感じで守備についていた

以下⇓の文章はmicの個人見解

当然、戦争が休止されている現在でも”両国”間の緊張は続いており、アチラコチラの丘の上にはレーダーが稼働中。

次の目的地への移動途中には、当時の戦闘車両が陳列されていた。

向かった先は「双口海辺」

中国厦門市を望むポイント。ようやく雨も止んだ様子。

「烈嶼」とは小金門の正式名

海岸には敵の上陸を妨害する設置物。

トーチカも残っていますが、使うことのないことを祈ります。

そして「湖井頭戦史館」。

中に入ると、戦闘の様子を描いた絵。

中国側から打ち込まれた砲弾(中央の大きい砲弾だけは台湾の砲弾)

使われた小火器。

蒋介石の慰問の様子。他にもテレサ・テンが慰問に訪れた写真も展示。

最も海に近い場所のトーチカ内には、戦争当時の兵士の声が聞くことの出来る電話器。

電話器の反対側には、厦門市に向かった銃眼。銃眼の上には対岸の主なポイントまでの距離が表示されている。

ここにはお土産屋も併設。

購入したのは、訪れた各地でも購入しているマグネットプレート。お値段は150元(約750円)と、少々お高め!

如何にも戦闘的なプレート

最後に「百年風獅爺」という300年前に彫られた石像(興味ないので写真は撮っていません)が設置されているお寺を訪ね、ここで昼食に向かう他のメンバーとお別れ。今頃になって、空は快晴。

micひとりが近くの喫茶店?に案内され、茶菓のサービスを受けつつ、ツアーに関するアンケートにお答え。

アンケートは中国語のため、翻訳アプリを利用。本日のツアーは大変良かったため、ガイドや使用車両、ツアー料金などなど、全ての質問に最高点を付けて提出。

貰った絵葉書は「沙渓堡」の鳥瞰写真。左側の浜辺から岩肌に変わる位置より半島先端の隆起箇所まで坑道が張り巡らせられているということが良く分かる写真。

ホテルに帰って来たのは13時。近くを彷徨いたが、昼食が採れそうな店がなかなか見つからない。そんな時、どうも料理屋のようだと思える店に入り、壁に書かれた料理名の中から蝦仁炒飯を指し示して注文。出てきたのがコレ、やはり海老チャーハン。お味の方はと言うと、micが汗をかいていたこともあって、味が薄すぎて不味かった。

ホテルに戻り、本ブログを執筆。14時半過ぎに第1日目が書き終わったところで外出。と試みたが、立ち上がった途端に左太腿が痙ってしまい、ツムラの68番を飲んで、攣りが収まるまで約30が経過。

そして、痛みが残る脚で向かったのはホテルから100m程離れたバスターミナル。

当然、1階にはバスの待合スペース。

しかし、その脇には2階に昇る階段。「金城民防坑道」と記述。

2階の入口。

入口脇は坑道案内ツアーの表示。

中に入ると、このような展示。

坑道の250分の1スケールでのジオラマ。受付の女性が話しかけてくる。言葉が分からないことを態度で伝えると「おお、ジャパニーズ!」と言って、約1年半に渡る英会話学習前のmicレベルの英語で話しかけてくる。

その内容は、本日午前中までの雨によって坑道内に水が溜まっているため、本日は坑道内には入れないということ。まぁ、脚も痛いし、最初から坑道内を約1.5kmも歩く自信はありませんでしたが。

その後、ホテルに戻り、この第2日目のブログを執筆。ここまで書いて、時計を見ると17時50分。

この続きは、今夜アップロードできるか? それとも明日のアップロードになるのでしょうか?

ということでしたが、今晩中にアップロードします。

夕食を採れるレストランをグーグルマップで検索しても、日曜日ということもあって、多くが休業(沖縄みたい!)。

ということで、今晩もご飯はToGo(日本語のテイクアウト)。

まずはホテル近くの洒落た店へ。近くに行って店の掲示を見ると、日本語で「ポークたまごおにぎり」。沖縄の料理のよう。

メニューは台湾語表記だが、何となく漢字で分かる鶏燻製おにぎりを注文。値段は80元(約400円)と、ほぼ日本と同価格。そういえば、途中から、店頭に立つ御姉さんが「少々、お待ち下さい」とか「お待たせしました」と日本標準語(=関東弁)で話していたっけ!

これだけでは足りないので、セブンイレブンで、肉まんと台湾ビール、そして初めて見る台湾のアルコール度数9.99%のストロングビールを購入。お代はしめて236元(約1200円)! 円安の影響も大ながら、日本以外の国での物価上昇は急激。

ということで、今晩の夕食写真。

さて、ここまでの記事は、酒を飲みながら、そして台湾では普通に放送されているNHKの衆議院補欠選挙ニュースを見ながらの執筆。

明日以降は少し日程に余裕が出来るので、「ほぼライブ」の名に恥じない迅速な投稿に尽力する決意!

【本日の歩行数:   歩】

コメント

  1. 京の弟子 より:

    本当に中国大陸から近いですね。要塞化された地下基地もすごいですが、「現状変更」されず平和が続くことを祈るばかりです。

  2. 吉田奈那美 より:

    マグネット、ロゴを隠したら沖縄土産と勘違いしそうです。
    基地もシーサーもいるし。
    しかし、隣国との距離の近さからくる緊張感が伝わってきますね。台湾の戦争観、教育ってどんなニュアンスでなされているのでしょう。日本のそれは世界の中でも珍しい類だと思うだけに、あちらの教科書に興味がわきます。

Translate »