《詳細版》ベルリン散策(第3日目)

ナチスの悪行と東西文化の接点を訪ねる《第3日目・2月2日》

旅行中に投稿した「ほぼライブ」版はコチラ

ベルリン散策

時差ボケ

昨晩は疲れていたこともあって20時半には就寝。たっぷり睡眠を取れると思っていたが、午前1時半には目が覚めてしまう。それもそのはず、体内時計では日本時間の朝9時半。

何度か寝ようと試みたが、断念。昨日書き残していた分のブログを執筆してアップロード。時計を見ると、5時半。

朝食は近所のカフェ

シャワーを浴びたりしていると、時計は7時近く。グーグルマップで近くに朝食が採れる店を調べると、何のこともない目の前の交差点の斜向かいに24時間営業のカフェ。

店に入ると初老の男性が対応。ショーケースに並んだパンの中からプリッツとピザを選択。それとコーヒー。

温めてくれたピザはペパロニが乗っていて、タバスコ(置いてなかったけれど)をかけなくても少しピリ辛。プリッツは意外と柔らかく、中身がギッシリ。パンの味が良いので、何も付けなくても美味しくいただける。だけれども、ちょっとカロリー摂り過ぎ?!

パンを食べ終わり、コーヒーのラージサイズを追加して店外の席でタバコを一服。しかし、外は寒い!!

7時半を過ぎても暗かった空も8時近くなると、明るくなりだす。

泊まっているペンションが入居する雑居ビル

さあ、ベルリンの思い出に再会!

ポツダム広場

ペンションを9時前に出て、近くのSchöneberg駅からSバーンに4駅乗って、ポツダム広場へ。

行ってみると、壁の一部が設置されてはいるものの、何の変哲も無いタダの開けた場所。

ヒトラーの塹壕

ポツダム広場から500m程歩いてヒトラーが立てこもり、最後に自害した地下壕跡に向かう。

途中で「押しボタン式」の信号を渡るが、ここベルリンでは「押しボタン」ではなく「タッチ式」。休日の朝ということで、車も歩行者もほとんど見かけない状況。

途中には・・・ドイツにまで進出しているとは!

人気の無い集合住宅街を歩いていくと、駐車場の脇に説明板。この駐車場が塹壕の跡地。

スマホのグーグルトランスレータを起動させ、書かれているドイツ語を日本語に変換して案内板に書かれた説明を読んでみる。いずれも、この場所でいつ何が起きたのかが記載されているが、ベルリン陥落の前後だけを掻い摘んで変換。

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

ヒトラーの塹壕から100mも歩くと、そこには「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。サッカー場2面位の広さの場所に様々な高さのコンクリート製立方体が配置されている。

地下には資料館があるようだが、まだ開いていなかった(それより、マスクをかけた某国人民の団体がバスで到着した)ので、入館せず。

ブランデルブルク門

「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」のすぐ先にはブランデルブルク門。

37年前に訪れた時(ベルリンが東西に分断されていた時代)は壁の緩衝地帯の中にあったため、その下を通ることは不可能だった。しかし、今回はその下を通って旧西ベルリン側から旧東ベルリン側へ。昔撮影したアングルに近い位置で写真撮影。

37年前

フリードリッヒシュトラウセ駅

旧東ベルリンを歩いて、当時東西ベルリンを行き来できた唯一の地下鉄駅であるフリードリッヒシュトラウセ駅に行って見る。第二次世界大戦の時と同じような暗い町並みも華やかな町並みに。

37年前。なんも無い!

当然、駅の付近にも当時の面影は無く、東側の入国審査を終えて東ベルリンに一歩踏み出すために開いたドアの位置にも今ではキレイな商店が並ぶ。

ここでトイレを済ませておく。トイレへの入場料は1ユーロ(約125円)。水と安全、そしてトイレもタダだと思いこんでいる日本人としては1ユーロという料金がだいぶ高く感じる。

1ユーロ取るだけあって、中はキレイ。ペーパータオルも完備

ベルリンは外国人が多い街

地下鉄などで街中を移動していて、つくづく実感するのが外国人の多さ。アフリカ系の人もいれば、アジア系も。ある程度、国が識別できるアジア系では、マスク姿の某国人民、ハングルを話す人、そして日本語も聞こえてくる。ヨーロッパ系の外国人(東欧)も含めれば、かなり人数。以前、何かで読んだ「ベルリンの人口の25%は外国籍」という文章を思い出す。

チェックポイントチャーリー

フリードリッヒシュトラウセ駅から地下鉄に乗って、チェックポイントチャーリーへ。ここは陸路で東西ベルリンを行き来した際のアメリカ側の検問所跡。

すぐ脇には、こんな場所も。

中では当時を説明する資料館(入っていないが、アトラクションに近い感じ)や土産物屋。土産物屋では壁の破片を結構な値段で販売(本物?)。

ちなみに、37年前、mic は下の説明写真の最上部左に位置する東側を覗くビューポイントで、持っていたトランクの鍵でせっせと壁を削り取り(それほど柔らかかった=粗悪なコンクリート製)、帰国後に小瓶に詰めて、お土産として配ったら、結構、喜ばれた。

当時の写真。道路沿いの壁に掲示

37年前と同じアングルで写真撮影。当時は少しビビりながらの撮影。

当時は、東西冷戦の最前線

チェックポイントチャーリー博物館

チェックポイントチャーリーのわきにはチェックポイントチャーリー博物館が開館している。入場料は、ベルリンウェルカムパスで25%割引となって、10ユーロ90セント(約1400円)。

入場する際には、持ち物を地下のロッカーに預ける必要あり(預ける際に2ユーロを投入する必要あり。開錠時に返却)。

館内は写真撮影禁止。ベルリンが封鎖された時の西ベルリンへの物資輸送、東側から西側に脱出してきた様々な方法(小さなトランクに入ったり、自家製の飛行機や気球、写真に写っているフォルクスワーゲンの小さな前面トランクへの潜り込み、等々)、そして脱出に失敗して命を落とした人々の記録などが資料や写真で説明。また、別コーナーでは、ベトナム戦争やコソボ紛争など、これまでの内戦や東西対立も解説。

パンフレットの一部を掲載

ペンションに戻って一休み

チェックポイントチャーリーからは地下鉄とSバーンを乗り継ぎ、正午過ぎにはペンションへ戻る。時差の関係で少し眠いが、午前中の行動を執筆&アップロードすると、時刻は13時半。明日のポーランドへの移動に備えて、もう少し休息することに。

Willhelm Hoeck 1892

一休みの後、少し早いが今夜の夕食にお出かけ。出向いた先は、地下鉄を乗り継いで、程なく空港というビスマルク通りからWilmersdorfer通りを入ったWillhelm Hoeck 1892。

micがお気に入りのNHK番組「世界入りにくい居酒屋」で紹介された居酒屋。ちなみに、これで番組紹介の店を訪れるのは3件目(他に訪れたものの、閉店していたり、開店前だったりが各1件)。

特段、入り難いことは無かったけれど

創業1892年と言うだけあって、古めかしい店内。日曜日で時間も5時前ということもあって、店内の客はまばら。

従業員が英語のメニューを持ってきてくれるので、事前に画面を撮影しておいた番組紹介料理を示してメニューと照らし合わせた上で注文。

注文したのは、カレーソースが掛かったソーセージと肉団子、そして飲み物は番組で「火事と消火」と紹介されたビールをチェイサーにしたスピリッツ。スピリッツは何か⁇とたずねると、「ウォッカ」との回答。

程なくテーブルに運ばれてきた「火事と消火」を味わう。ウォッカは全くクセが無くて飲みやすく、ショットグラスはすぐに空。

ショットグラスには炎のマークとFIREの文字がプリント

すぐ横で飲んでいるオジサンが店員と交わす会話の中に「ヤーパン」という言葉が聞こえていたが、そのオジサンがビールグラスを持ちながらコチラを向いて「カンパ~イ」と一言。

かなり出来上がっている様子

オジサンも店が日本のテレビ番組で紹介されたことを知っており、そのうち「何処でも構わず、写真を撮ってイイよ」と言い出す始末。

そして料理の登場。肉団子は想像していたよりも大きく、ソーセージ共々、付け合せの量もタップリ。この際、摂取カロリーの事は気に掛けずに完食。

タバコの箱と比べると、肉団子の大きさが分かるでしょう
オジサンにスマホを渡したら、バチバチ写真を撮ってくれました。

結局、ウォッカは都合3杯。慣れない外国の地下鉄を乗り継いでペンションに戻るので、ほろ酔い程度でお酒は打ち止め。女性店員に会計をお願いすると、お会計額は26.3ユーロ(約3200円強)。これだけ堪能出来れれば十分満足!

店員とオジサンに挨拶して店を出て、地下鉄でペンションに戻る。なお、地下鉄構内ではホームレスが寝ていたり、お金をねだる人(決して、しつこくはなかったけれど)もいたが、酔っ払った身でも(逆に言えば、酔っ払っていたから)危険を感じることはなし。

そして、ペンションに戻り、持参したウイスキーをチビチビ飲みながら本ブログ記事を執筆。時計を見ると8時。明日は早い(おまけに時差の関係で眠い)ので、水割りの残りを飲んで、就寝することに。オヤスミナサイ(「ほぼライブ」版の読者の皆さんは、もうすぐ月曜日朝の起床時間ですね)!

本日の歩行数:21500歩

コメント

  1. 京の弟子 より:

    ベルリンでの現在と37年前の写真を見比べますと、移りゆく時代がよく分かりますね。
    ちなみに、37年前の写真、若干遠めですが、藤岡弘(仮面ライダー1号)ばりですね。
    「ユダヤ人のための記念碑」の資料館、入らなくて正解だったと思います。

Translate »