夏休み!カンボジア!【第3日目】カンボジア大虐殺の黒歴史に触れる

カンボジアで迎える最初の朝

やはり100ドル札は使いにくい

ベトナム同様に、カンボジアも日本との時差が2時間あるため、朝早く目覚める。

若干の空腹を覚え、1階に降りるが、バー兼レストランの営業開始時間の7時までには、まだ間がある。

ふと見ると、フロント横のガラス戸の先に飲み物が並んだ冷蔵庫が見える。ガラス戸から入るとコンビニの裏口だった。

品揃えは、日本のコンビニと変わりない。そこで、パンと飲み物を買う。

昨日、ATMから出てきた100ドル札を細かくしたかったので、レジに出すと、細かいドル札はないか?と言ってきた。

無い、と答えると、渋々、レジの下にある引き出しから100ドル分の少額紙幣を輪ゴムで縛った札束を取り出し、そこから商品代を引いたオツリを渡してきた。やはり100ドル札は使いにくいようだ。

バスルームでトラブル発生

部屋に戻って、パンと缶コーヒーの朝食を済ませる。そして、トイレへ。

トイレに座って用を足していると、突然、ガッシャーンという衝撃音!

ビックリして、横を振り向くと、天井から換気扇がユニットごと洗面台に落下している! そして、洗面台の上は砕け散ったガラスコップの破片や歯ブラシなどが散乱!

コップの破片を見ると、かなり鋭い! 横長の洗面台に沿って散乱しているが、この方向がすぐ横のトイレ方向に向かっていたならば、そこに座っていた自分も只では済まなかったはずだ!

電話で状況を説明することは無料と判断し、手付かずのままの状況を写真に撮って、フロントへ。

フロントで、換気扇が突然落下してきた旨を伝えて、写真を見せる。フロント係もにわかに信じられないという顔!

フロント係を連れて部屋に戻り、状況を確認させる。当然のごとく、部屋は交換。

しかし、1時間経っても、代わりの部屋についての連絡が来ない。電話してみると、まだ掃除が出来ていないとのこと。

さらに待つこと1時間半。ようやく代わりの部屋が用意されたので、荷物を持って移動。最初の部屋より狭いが、まぁ寝るだけですから!

※ River Ster Hotel  3泊で5867円。Agodaで予約・支払い

カンボジア大虐殺の場に向けて出発

tuktukのチャーター料金は?

部屋の準備を待っている間、スマホで某日本人向け旅行会社のホームページを当たったところ、プノンペンでtuktukをチャーターする料金は、4時間で25ドル、8時間で35ドル、加えてプノンペン郊外にあるキリングフィールド行くには15ドルの割増料金が必要とのことだった。

本日は、トゥールスレンとキリングフィールドに行くので4時間チャーターでは足りない。すると8時間チャーター+割増料金で50ドルか、割増料金無しの35ドル位にならないかな、などと思いつつ1階へ。

ホテルの前には、早朝からtuktukが数台停まっており、タバコを吸いに路上に出る度に声を掛けてきていた。ロビーから外を見てもバイクタクシー共々、数台が停まっている。

そこで、ホテルのフロント係に、正直なtuktukドライバーを紹介してくれるよう頼んでみた。

フロント係が、どこへ行きたいか聞いてきたので、昼食を挟んでトゥールスレンとキリングフィールドに行きたい旨を伝える。

ホテルの前に出て行ったフロント係は2~3分で戻ってきた。そして一言。20ドルだけどイイ?

聞き間違えたと思い、もう一度金額を確認したが、やはり20ドル。想定していた以上に安い!

時計を見ると、9時半を回っている。プノンペン市内で昼食を採ることを考え、先にキリングフィールドに行くこととし、tuktukに乗り込む。

tuktukのドライバーの名前は、カー。スマホを持っていたので、はぐれた際に備えて電話番号を聞き、自分のスマホに入力。

キリングフィールドへ

キリングフィールドまでの道のりは、途中で幹線道路から外れた超ローカルな脇道でショートカットして約14㎞。約1時間かかる。

キリングフィールド入口前の駐車場には車やtuktukが十数台停まっており、100人程度が訪れている。

入口で入場料6ドルを支払い、ガイドレシーバーを受け取る。レシーバーは言語別になっており、日本語を含めて15カ国語に対応。当然、日本語のレシーバーを受け取る。

入口で受け取ったパンフレットには場内の案内図が記載されており、その案内図のそれぞれ場所には番号が記されている。レシーバーの当該番号ボタンを押すと、その場所の解説がレシーバーから流れる仕組み。また、パンフレットを見なくても、それぞれの場所には番号札が掲げられている。

レシーバーを首に掛け、1番のボタンを押すと解説が始まった。最初に、この場所は極めて深刻な場所であり、服装や行動に注意するよう、とのこと。

入口から奥へ進むと、慰霊塔が見える。案内図では、この慰霊塔は最後に訪れる場所となっており、慰霊塔手前で右に曲がり、反時計回りに進む。

最初の場所は、連れてこられた人々がトラックから降ろされた場所、そして収容された建物の跡地。レシーバーからの説明は、

✖ ポルポト派兵士がプノンペンに入城した際、出迎えたプノンペン市民が外国の兵士が入城してきたと驚く程、兵士達の話す言葉は標準語と異なり、それだけ田舎の農村出身者ばかりだった。

✖ このような虐殺の場はカンボジア国内に300カ所設置され、ポルポト政権下の4年弱で、800万人いたカンボジア国民のうち300万人が虐殺された。

✖ 虐殺されたのは医師や教師といった知識層であり、家族共々、虐殺された。

✖ 連れてこられた人々はその日の夜もしくは翌日夜には虐殺された。

とのことだった。

次は、屋根がかかった場所。ここに450もの遺体が埋められていた。

こうした場所はいくつもの窪地となって場内に点在する。

そうした窪地を横に見ながら進むと、屋根のかかった別の場所。多くの子供が埋められていた場所だ。

隣にある木は「キリングツリー」と名付けられ、子供達が頭を打ち付けられて虐殺されたとのことで、ポルポト派がベトナム軍に追われた直後には流された血で真っ赤だったそうだ。ここでレシーバーからは「ポルポトは『雑草を抜くときは根っこまで』と指示した」との解説が流れる。

その他、いくつもの解説場所を通過して、1本の樹木の下にやって来る。この木には拡声器が取り付けられ、連夜、革命歌が大音量で流されていたそうだ。その目的は、虐殺される人々の断末魔の叫びを打ち消すためであり、近所に住む農民は「連夜、兵士が集会をやっている」と思っていたとのこと。このキリングフィールドもポルポト派が敗走した数日後に、接収された自分の農地を見に来た農民に発見されるまで、人々に知られない場所だったということだ。

最後に慰霊塔を訪れる。中には膨大な頭蓋骨が収められており、それぞれ男女別、虐殺方法別に分類されている。

頭蓋骨が収められたガラスケースの一番下には、虐殺に使われた道具が展示。頭に突き刺す鉄の棒、殴り殺すこん棒、切りつける斧、等々が殺害方法の解説付きで展示されている。

 

ここまで場内を回って、気分は最低・最悪の状態。何か遺恨のようなものを感じる。

慰霊塔の前で、花とお線香を売っていたので、せめてもの供養にと購入して、献花・焼香。

最後に、慰霊塔を背景に写真を撮ろうと、スマホをセルカ棒に取り付けてセルフタイマーをセット。自分に向けていると、後ろから駆けてくる奴がいる。邪魔だなぁと思っていたら、ふざけて写真に写り込んできた。場所柄もわきまえないアホが!

駐車場に戻って一服するが、気分はまだ晴れない。客車の中で寝ているカーを起こして、キリングフィールドを後にする。ここでの滞在時間は約1時間。

※このブログを書いている間も気分が滅入ってくる!

お昼です。

プノンペン市内に戻ってくると、時計は12時半近く。昼食にはちょうど良い時間だ。

カーに、308ストリートにあるローカル食堂のクメール・ウィメンズ・レストランに行くよう指示。そこで昼食だ。

クメール・ウィメンズ・レストランは昼時ということもあって混雑している。カーが店の奥にある建物内に空席を見つけてきたので、そこに着席。

注文を取りに来たが、メニューは無いようなので、GoogleTranslaterのクメール語を使って、炒飯とビールを注文。カーにも好きな物を注文させるが、念のため、ビールはダメ!と釘を刺しておく。

ビールを飲みながら、コーラを飲んでいるカーと話しながら待っていると、料理が出てきた。しかし、出された皿の上には、どう見ても炒飯とは見えない料理が乗っている。カーが言うにはポークライスとのこと。

これもカンボジア流かと思いつつ、口に運ぶ。

一方、カーは何かを煮込んだスープのようなものをオカズにライスを頬張っている。一男一女の父親で、下の娘は10歳で上の息子は16歳。経済的理由で義務教育以上に進学させることは出来なかったようで、息子は出家したそうだ。誇らしげに僧侶姿の写真を見せる。

昼食を済ませ、2人分の代金5ドルを払って店を後に、トゥールスレンに向かう。

トゥールスレン大虐殺博物館へ

トゥールスレンは市内に位置しており、5分程度で到着。入口前にはtuktukや車が何台も停まっており、土産物屋も出店している。

入口で、入場料8ドルを支払う。この金額はキリングフィールド同様に音声ガイドのレシーバー料込みだ。

レシーバーを首に掛けて、入場。ここでもキリングフィールド同様に服装や行動についての注意がヘッドフォンから流れる。

トゥールスレンは、ポルポト派が知識層を処刑するため、でっち上げの罪を自供させた拷問場所で、元々は高校の建物。

入場して、すぐ左の建物の1階に拷問部屋が並んでいる。部屋の中には拘束器具の付いた鉄のベット、つまり拷問台が置かれており、罪もない多くの人々が地獄と感じるような責めを受けたことが伺える。

拷問部屋に沿って進むと、高校時代には遊具が吊り下げられていた木製の構造物が残っている。ポルポト時代には遊具ではなく、人が逆さに吊され、頭をカメの水に浸けられたということ。

次の建物は、人々を収容していた建物で、2階に上がると、部屋の中にレンガや木製のタタミ1畳程の小部屋が並んでいる。小部屋の入口には数字や記号が書かれているが、記号が書かれている理由は、ここにいたポルポト派兵士が数字を読めなかったからだ。

2階から3階にも上がってみる。階段の踊場には血痕のような染みが残る。嫌な雰囲気だ。

外に面した廊下には棘線が張ってある。これは逃亡防止のためではなく、拷問の苦痛から逃れるために飛び降り自殺することを防止するため。

建物の1階に降りてくる。1階は資料展示室で、資料展示は別棟に続いている。

ポルポト派のプノンペン入城から説明が始まる。得意そうに写真に写るポルポト派の幹部達。しかし、写真に写った幹部の中の何人かも、トゥールスレンで拷問を受け、キリングフィールドに送られた。いつの世でも、狂信的な政党・団体ではよくあること!

トゥールスレンで拷問を行っていたポルポト派兵士の顔写真も並んでいる。女性兵士も多いが、いずれも「まだ子供」の顔立ち。15歳前後か? 分別が付く前の子供の方が、どんな残虐な命令でも率直に従うということだろう!

次に、ここトゥールスレンからキリングフィールドに送られた人々の写真。カンボジア人の犠牲者の他、欧州系も含めた外国人犠牲者の写真コーナーもある。

こうした写真を中心とした資料の後は、拷問に使われた道具の展示。

そして資料展示室の最後には、頭骸骨も並んだ慰霊室。

室内にいる訪問客はいずれも黙して語らない! 空気が重い!

重い空気が充満した建物から出て、中庭の外れに行くと、しぶとく生き残ったポルポト派幹部を裁いた裁判記録。カンボジア政府と国連が設置した特別法廷により、トゥールスレンの所長を含めて、その多くが終身刑の判決。

出口で、首に掛けた音声ガイドのレシーバーを外す。何か、少しだけ重い空気から解放されたような気がする。

トゥールスレンから外へ出ると、すかさずtuktukの客引きが声を掛けてくる。そうした客引きを断りながら、近くに見当たらないカーに電話を掛けようとしたら、カーが出てきた。

tuktukに乗って、ホテルに戻る。

ホテル入口のバーにカーを呼び込み、コーラを飲みながら「夕方、エクリプス・バーに行くので、仕事する?」と訊くと、「家が遠いので、もう帰る」とのこと。市内から遠い郊外だと、家賃が市内の半額の50ドルになるらしい。「どのくらい遠いの?」と訊いたら、「ここから45分かかる」とのこと。近いじゃん!!

カーのtuktukの客車の中には、古ぼけた射撃場の写真が貼ってあったので訊いてみると、射撃場までの運賃は往復で15ドルとのこと。翌日午後に行くことを予約すると、カーは家へと帰っていった。どうも「1日20ドル稼げば良し」という勤労感のようだ。

部屋に戻って、一休み。精神的に疲れたので、ビールを1缶飲んで、ベッドの上で2時間程ゴロゴロ。

最先端 Eclipse Sky Bar で精進落とし

夕方になったので、プノンペンで最先端のバーと言われる「Eclipse Sky Bar」に行って「精進落とし」だ。

Eclipse Sky Barは、プノンペン中心部を南北に貫く1号線沿いの「Phnom Penh Tower」の屋上にあるバーだ。

路地を歩いて1号線に出て、Phnom Penh Towerに向かう。途中、歩道が無くなっている場所があるので車道を歩くが、暗くなった空の下、後ろからバイクや車が走り抜けていくのが怖い。

そこでスマホのスイッチを入れ、明かりの付いた画面が後ろから来るバイクや車から見えるようにして歩く。ちなみに、ひったくり防止のため、スマホを持つのは歩道側の手。

Phnom Penh Towerに入り、エレベーターで最上階の22階へ上がる。エレベーター内には各階の案内が表示されているが、入居者の多くは漢字が併記された中国系企業だ。

22階に上がり、廊下を歩くと、Eclipse Sky Barの表示が示された階段がある。

ビル内の階段を昇って屋上に上がると、室内に設けられた客席と受付のようなものがあるが、誰もいない。見回すと、更に上へと上がる階段が。

すると、階段の上から女性従業員が降りてきて、「バーはこちらです」と屋上に建設された構造物の上へと御案内。

外に設けられた階段を3階分位昇ると、そこがEclipse Sky Bar! ビル屋上の更に上に設営されているので、周りの夜景が一望だ! 昼間の火照りが残る肌が感じる風も心地よい!

テーブル席もあるが、ボッチ一人、夜景と対面するカウンター席を選択。

従業員が持ってきたメニューを見る。ビールやウイスキーは4ドル程度で、料理も10ドル程度。カンボジアの物価を考えると、とてつもない価格だ。

日本でも、こんなお洒落なバーには入ったことがない。ところどころに座っている客を見ても、富裕層か外国人(中国人?)のようだ。

※ 隣にいた裕福そうなカップル!

ポップミュージックが流れる中、シーバスリーガルのソーダ割(4ドル)を飲みながら待っていると、注文したイカと野菜の炒め物が出てきた。ライス(カロリー摂取量の関係で食べませんでしたが)も付いて、値段は13ドル。

炒め物をよく見ると、粒粒がいくつも付いたブドウを小さくしたような房が入っている。口に入れてみると胡椒だ。そういえば、胡椒はカンボジアの数少ない名産品。少々のピリリ感に加えて強い香り。胡椒の粒を房から削ぎ落し、イカや野菜と共にいただくと~絶品!

普段ならば、ウイスキーのおかわりを注文するところだが、帰りに長めの階段を降りることを考え、1杯で終了。食事をメインに夜景を楽しむ。

Eclipse Sky Barで夜景と食事を堪能した後は、tuktukを拾ってホテルに帰還。tuktukの料金は3ドル。市内中心部の移動は大体3ドルのようだ。

ホテルに戻るなり、入口のバーに着席。ここなら安心して酔っぱらうまで飲める・・・ということで、イカフライを肴にジョニーウォーカー黒ラベルをソーダ割で4杯。バーのお姉さんに5杯目を注文したら、向かいのメコン・リバー・レストランに入って行っちゃった。

メコン・リバー・レストランから戻って来たお姉さん、もう黒ラベルは品切れ、向かいのレストランにも無い、とのこと。仕方ないので5杯目は JimBeamのソーダ割。

時計は9時半。酔いも適度にまわったので、お会計。料金はぴったり20ドル。

部屋に戻ってバタン・キュー!

【第3日目の歩行数:2万600歩】

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