《詳細版》プラハ#2

【第3日目:6月5日】

旅行中に執筆・投稿した「ほぼライブ版」はコチラ

Dobré ráno(おはようございます)

朝は3時頃に脚が攣って目覚めてしまったものの、無理やり眠りにつき、浅い睡眠だったものの6時(日本時間13時)まで眠ることが出来た。体内時計がヨーロッパ時間に少しづつ対応出来ている様子。

共産主義博物館

9時40分にホテルを出て、23番トラムに乗車。

途中で、犬が乗車してきた。盲導犬などでは無く、ただのペット犬も乗車出来る様子。

トラムに乗って約15分。到着したのは、このビルの側。

このビルの中にあるのが、共産主義博物館。

入場料は380コルナ(2650円)。

階段を昇ると、世界の半分を暗黒時代に導いた思想の発案者であるマルクスの像がお出迎え。

最初に、チェコ・スロバキアの誕生と共産主義化の説明。

続いては、ナチスとの協定締結によってチェコ・スロバキアが事実上、ドイツの支配下に置かれた時代の説明。

ヒトラーの切手も展示。

続いて、ソビエトの影響の説明。右に展示されているのはモスクワの赤の広場が描かれた絵。「自由にして民主的な労働運動」を掲げる労働組合の中央組織である「連合」の役員フロアーのエレベーターホールにも同じような絵が掛かっていた。連合の思想とはミスマッチな絵だが、今だに掛かっているのだろうか?

社会主義の英雄?達が描かれた絵。

悪の権化=レーニン像

社会主義時代の生活を説明する展示。

警察官には、共産主義思想を遵守し、人間性を失った者だけが就任出来たという説明。

東西冷戦時代の説明。

上に掛かっているのはパイロットの装備

宗教家は弾圧の対象で、処刑された者も。

共産主義が緩やかになった「プラハの春」の説明(写真無し)に続く最後の展示は、ベルリンの壁崩壊から始まった共産主義社会の終焉。

いずれの展示も、共産主義の非人道性、誤った思想であるということを一貫して説明。

チェコの人が直行便の無い日本を訪れる際に、料金が安くて便数も多い中国民航を利用しないのは「共産主義を嫌っているから」という説明も納得出来る!

共産主義博物館の滞在時間は約1時間。

パウダー・タワー

共産主義博物館の近くにはパウダー・タワー。パウダーとは火薬のことで、つまりは火薬庫だった塔。入場は可能だが、1500円程度払っても、塔の上から景色を眺めるだけなので、写真撮影のみ。

パウダー・タワー撮影後、トラムに乗って本日午後のツアー集合場所に向う。

途中で、プラハ城を撮影。

ツアーの集合場所は、ルドルフィルムというコンサートホールの正門前。集合時間まで1時間以上あるので、付近で昼食を摂ることに。

プラハで初めてのマトモな食事

付近のカフェ(レストランは高い!)をグーグルマップで調べ、行った先がこのカフェ。

メニューを見ると、ワッフルと組み合わせた料理が中心のカフェ。English Breakfast(280コルナ)とアイスティー(85コルナ)を注文。

出てきた料理がコレ!  片方のワッフルの上にはハッシュドポテトと目玉焼き、もう片方には焼マッシュルーム。そして、ベーコンとソーセージ、豆の煮物。シッカリとした味付で美味しくいただく。プラハに来て初めてのマトモな食事。

料金は365コルナ(2550円)なので、会計時にチップ込みで400コルナ渡したら、しっかり35コルナのお釣りを渡された。カフェではチップが不要な様子。

テレジン収容所へのツアー

テレジン収容所へのツアー出発時間は13時30分で、10分前には集合との案内。20分前に行ってみるが、目印の青と白の傘を持った人はいない。雨が降り出して、気温も低下。

付近で一服しながら待っていると、10分前になって、ホール正門前にいる人々の一人(アラブ系男性)が目印の傘を広げた。そこで彼の持つモバイルフォンでチェックイン。

そして、出発時刻になると女性ガイドがやって来て、ツアーバスへとご案内。

ツアーを引率するのは女性ガイドのみ。彼女のモバイルフォンに表示されたQRコードを読み取り・ログインすると、チェコの歴史〜チェコにおけるユダヤ人の歴史〜テレジン要塞そして収容所の英文説明とテレジン収容所におけるユダヤ人の処遇等についての動画を見る事が出来る。

ガイドが貸してくれたテレジン収容所の鳥瞰図。左上がテレジン小要塞で、右下が大要塞。

約1時間でプラハから60km離れたテレジン収容所に到着。テレジン収容所も雨が降っていて寒い。アウシュビッツに行った時の悪天候を思い出す。

テレジン収容所は、テレジン要塞の小さい方を使った収容所で、大きな方はゲットー(ユダヤ人居留区)に使用。

小要塞に向う道の右側には犠牲者の墓地。十字架の手前がキリスト教徒、奥のダビデの星の手前がユダヤ教徒のお墓。

テレジン小要塞=収容所の入口。入場料はツアー代金に含まれているが、表示されていた入場料は310コルナ(2170円)。

先ずは博物館で、ナチスによるユダヤ人抹殺の決定、収容所の歴史、等々の展示を見る。

円グラフは収容された人の属性、棒グラフは各年に収容所に送り込まれた人数。

収容所におけるユダヤ人の生活状況の説明コーナー。ビデオでは僅かな生存者の証言を再生。

そして、テレジン収容所専属ガイドに引率されて収容所内へ。

入口から入って左側には司令官とユダヤ人イジメが大好きだった副司令官(10年程前の厚生労働省・労使関係担当参事官のような性格だったのでしょう)の部屋。

正面の「働けば自由になれる」というドイツ語表記の門から先が収容施設。

収容練

収容練の内部。アウシュビッツとは異なり、一応ストーブは備え付けられているが、支給された石炭は微量だったとの説明。また、支給された食事は1日400kcalと、生存することが不可能な栄養素だったとのこと。

懲罰房。窓が無く、内部が真っ暗になる房もあった。ここに食事無しで5日間入れられ、その多くは死亡したとのこと。

洗面所

シャワー室

収容練を見た後は、堀を渡った要塞に向う。

人のいる場所に御留意!

この入口から入ると、長さ500mの地下通路が続く。

地下通路内部。何度も曲がりくねっていて、脚が疲れてくる。

地下通路の出口は堀の中。そこには銃殺場所と絞首刑台。ココで殺害された人は100人とのこと。残りの人は餓死もしくは病死で、大多数が死亡。

左の土盛が銃殺場所で、その右には絞首刑台。

テレジン収容所の案内は約1時間。雨もあがり、日差しも差してきた。帰路は墓地の中を進む。

ユダヤ教徒の墓標の上には小石が置かれている。映画「シンドラーのリスト」の最終場面で、生き残ったユダヤ人達が順番に並んで、シンドラーの墓に小石を置いていくシーンがあったが、仏教のお線香のような位置づけの様子。

テレジン要塞=収容所の後は、ゲットーとして使用されていた大要塞へ移動。いずれの建物も当時のままとのこと。

ユダヤ人学校だった建物が現在の博物館。

ゲットーへのユダヤ人隔離の歴史の説明。

階段踊り場には、ユダヤ人生徒の描いた絵。

ゲットーでの生活の説明。

亡くなったユダヤ人の手紙や身分証。

ヨーロッパにおける収容所等の位置。テレジン収容所と大きな赤丸のアウシュビッツは近い。

以下の写真の上側はアウシュビッツにおける選別の様子で、右に振り分けられれば強制労働、左に振り分けられればガス室送りということ。下側は何も知らずにガス室に向かって行く人達。

テレジン収容所に送り込まれた人数やテレジン収容所から出て行った(行き先はアウシュビッツ)人数等が示されていた。

博物館は17時に閉館。バスに乗って約1時間で集合場所に戻り、ツアーは終了。最後にガイドに100コルナ(700円)のチップ。

夕食です

昨晩に行った時は閉店時間だったカフェ。本日は20時前に訪問。店内は禁煙なので、屋外席に着席。

メニュー中程のチェコ料理の中からPilcner goulash(牛肉のビール煮込)を注文。

飲物は、Pilsner Urquell draught 0.5L

出てきた料理がコレ! 薄味のビーフシチューに浸かった苦味少々の牛肉といった代物。蒸しパンのように柔らかいパンを一口サイズにナイフで切り分け、スープに浸してから、玉ねぎスライスをのせた牛肉と一緒にいただく。お味の方は、特に美味くも不味くもない平凡な薄味ビーフシチュー。

お会計は328コルナ(2300円)。400コルナ渡して、お釣りの中から50コルナだけをいただく。

帰りにはホテル横のミニマートで水2本とビール1缶を購入。

撮影時刻は21時45分。空はまだ明るい!

水が1本40コルナ(280円)で、ビール500ml缶が50コルナ(350円)。

お休みなさい

ビールを飲みながらココまでの記事を執筆・投稿。時刻は23時15分(日本時間は6時15分)。あと少し”いいちこ”を飲んでから一服して、24時までにはベッドに入るつもり。今晩は脚が攣りませんように!

オヤスミナサイ!

《本日の歩行数・1万3900歩》

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