《ほぼライブ》ハノイ散策とノスタルジックジープツアー【第2日目】

海外旅行

【令和5年(2023)11月4日】

第3日目に入り、睡眠不調が続きますが、第2日目の記事投稿を開始します。

ホテルの朝

朝は時差の関係で夜明け前にお目覚め。ホテルの外に出て、ホテルの外観を見ると、正に鰻の寝床。

ハノイの固定資産税は間口の広さで決まるということで、京都の町屋が鰻の寝床というのと同じ理由。

鰻の寝床のように幅細く奥行きのあるホテル

ホテルの隣はカフェ。低いテーブルと椅子はベトナム特有。

カフェの反対側では、肉とトーフを売っている。肉は客の注文に応じて切り分け、計りで重さを計って売っているが、当然、冷蔵は無し。

路上の肉屋と豆腐屋

ホテル内では民族衣装のアオザイを着た女性が多いと思ったら、結婚式に参列するよう。狭いロビーでは花嫁が念入りに化粧を施されている。

結婚式の車。後ろのバスには慶事のマーク

朝食会場のレストランは通路を兼用。レストランの手前と奥にエレベーターと階段があり、各階2部屋づつのドア。つまり1フロアー4室。

ホテルのレストラン

朝食はしっかりと摂取。コンデンスミルクを加えたコーヒーが高カロリー! しかし、2杯いただく。

ホアンキエム湖

朝食後は、ハノイ市民の憩いの場であるホアンキエム湖へ。土曜日とあって湖周辺の道路は歩行者天国。橋の架かる島にはンゴックソング寺。

ホアンキム湖

湖の奥には「亀の塔」。

湖の周囲には、高価そうなカメラを持ったカメラマンが多数。撮影用の花束や小物のレンタル業者も多数。

湖の脇には政府の施設も存在。外観を見れば直ぐに分かる!

やはり社会主義国

ホアンキエム湖を離れ、徒歩で約1.5km移動。途中、電器屋が並ぶ場所もあり、朝から大音量が流れている。

電機街

ホアルー刑務所(ハノイ・ヒルトン)

やって来たのはホアルー刑務所。フランス統治時代に建造され、日本統治時代を経て、ベトナム戦争時代まで使われていた刑務所。ベトナム戦争時代には米軍捕虜を収容し「ハノイヒルトン」と呼ばれていた施設。

ホアルー刑務所

入場料は3万ドン(約190円)。

館内では、最初にフランス統治時代の刑務所の様子を紹介。もっぱら政治犯(フランスからの独立志向者)が収監。

収監者が着用させられた囚人服

食器や食事内容の展示・説明を見ると、食事内容のほとんどは腐りかけた食材によるもの。

当時のトイレも展示。

フランス時代のトイレ

足枷を掛けられて収容された人々の様子も展示。

当時の様子を現したレリーフも展示。

処刑用具の展示では、足枷などと共にギロチンと斬首された首の写真。

フランスの処刑と言えばギロチン

館内は暗いが、房舎の様子をストロボを作動させて撮影。

展示の後半はベトナム戦争時代の様子。

展示の後半はベトナム戦争時代

撃墜されてパラシュートで降下してきた米兵のパラシュートと衣類。収容所で使われていたベッドなどが展示。

米軍捕虜についての展示

捕虜が着用していた囚人服なども展示。

ホアルー刑務所の見学を終えた後は、付近のホテル前からgrabで配車依頼して、一旦ホテルへ戻る。

ノスタルジック・ジープツアー

ホテルでスマホなどを充電した後は、ホテルから300m程離れたノスタルジック・ジープツアーの集合場所へ。

ジープが2台停まっていたので場所はすぐに分かったが、どこでチェックインするのかが不明。

出発していくジープのガイドに訊くと、ビルの間の通路の奥とのこと。

しかし、奥に進んでも、それらしい事務所などは見当たらない。

英語が分かる人を探して訊いたら、階段の上とのこと。

階段を登っていくが、あるのはカフェだけ。カフェのスタッフに訊いたら、ここで良いそう?

ツアーの内容が良く分かっていなかったが、先ずはジープへの同乗者と共に昼食。同乗者は、フィリピーナ2人、英国人女性1人、シンガポールで働いている台湾女性1人。いずれも英語力は完璧。彼女達から会話を振られても、理解出来るのは半分程度。

食事の最後にはエッグコーヒー。初めて飲んだが、コーヒーの上に乗った卵クリームが美味。

ツアー開始時刻は12時30分だが、実際にジープに乗車したのは13時30分。

ジープの座席は233。2列目には台湾女性とフィリピーナ2人。3列目に左右にmicと英国人女性。

天気予報では雨模様だったが、実際には日光が眩しい晴天。気温も30度を越えているが、オープントップのジープで走れば、心地良い風。

ジープはハノイ市内の観光場所を巡回。ホーチミン廟も車上から見るだけ。

停車したのは「B52戦勝博物館」。撃墜されたB52の残骸や北ベトナムのmig21n.などが展示。

ココでは各参加者がジープの運転席に座って記念撮影。

その後、ジープは裏通りに入って行く。

そして、参加者はジープを降り、バイク1台が通れる位の路上に入る。路地の中では、バニヤンツリーの神格化、家を悪霊から守る記、地元のお菓子を食べながらの解説。ベトナムの死生観、などの説明をガイドから受けるが、用語が難しく且つ流暢な英語なので、ベトナムについて持ち合わせている一定の知識を持って推測しても、micに理解出来るのは半分程度。

肉屋では生きたままの鶏肉も販売

ジープツアーの参加者はジープを下車して路地に入るが、バイクツアー参加者はバイクに乗ったまま路地にも突入。

ツアーは、最後に鉄道線路脇を訪問。

列車が通過する時刻が表示

台湾の十分でも鉄道線路に入り、天壇を上げることが出来るが、ここの見ものは別!

先ずは線路脇のカフェで飲み物のサービス。ビールでもココナッツでもツアー料金に込み。

線路脇に一列に並んだ椅子に座って一休みしていると、線路に沿って縦一列で座り直し、身体を建物の壁に密着させるように指示。荷物も建物の壁極に置き直す。

そして列車が接近。

身体から数十センチの位置を列車が通過。列車は結構長く、通過するまでの時間が思ったより長い!

※詳細判では身体の横を通過する様子をアップロード予定

その後、ジープは「ブラックマーケット」を通過。盗難バイクがバラバラにされて部品が販売されることもある場所。それを取り仕切るマフィアから地元警察に一定の金が流れるとの説明。

そして、ジープは出発場所に戻り、16時30分にツアーは終了。mic以外の参加者はジープに乗ったままで、ホテルまで送ってもらえるとのこと。

脚がひどく攣りました!

ホテルに戻って、汗まみれの服を脱ぎ捨て、エアコンの効く室内で下着姿のまま画像データを編集・アップロードしていると、突然、右足太腿が攣る!そして左脚も!

右側が攣った時点で立ち上がっていたので、何とか2m程離れたテーブルに置いてあった「ツムラの89番(脚が攣った時の薬)」を手に入れることが出来、水無しで服用(冷蔵庫まではたどり着けず)。

少し攣りが弱まったところで、難儀しながら下着を脱いで、熱めのシャワーで脚を温めること約30分。ようやく攣りが収まったところで、気力も体力も消耗!

夕食は昨日と同じレストラン

疲れもあって、夕食は昨日と同じホテル近くのレストラン。

本日は、ミックス揚げ春巻とモーニンググローリーの炒め物。御飯はキャンセル。

食事のお供はビアハノイ。

揚げ春巻に付いてきたニョクマム(ベトナムの魚醤)の味が薄いので、持参した万能調味料で味付け。モーニンググローリーの付け合わせのトマトスライスには同様に持参した藻塩を振りかけて美味しくいただく。

土曜日の夜ということから、目の前の通りは歩行者専用(ただしバイクは通り抜ける)。レストランの斜め前では、シンセサイザーと二胡による路上演奏。聴いたことのある極端だと思ったら、東南アジアで流行った日本のシティポップスだった。

※その様子は、詳細判で動画をアップロード予定

楽しい演奏を聴きながら、ビアハノイ3本を飲んで、お会計は25万5000ドン(約1600円)。

念のためフットマッサージを受けました・・・が!

ホテル周辺にはマッサージ店が沢山。そのうちホテルの斜め前にあるマッサージ店がグーグルマップでの評価が高かったので、フットマッサージを30分だけ受ける。

フットマッサージ30分の料金は15万ドン。施術自体はしっかりとやってくれたが、会計時に20万ドン札を出し、ティップは2万ドンと伝えても、「施術者へのティップは5万ドン」と言い張る。結局、お釣りとして戻ってきたのは2万ドン。つまり、料金は15万プラス3万の18万ドン(約1100円)。

足の攣りにも対策を施し、いいちこを1杯飲んで、11時過ぎには就寝。しかし、零時過ぎには叉しても右足太腿が攣り始める。急いで「ツムラの89番」を服用。

その後も寝汗がひどくて安眠出来ず。今夜も睡眠不調で第3日に突入。

コメント

  1. 京の弟子 より:

    ジープのツアーは両手に花の状態?楽しさも倍増したでしょうか。
    ただ、足が頻繁に攣り出したのは辛いですね。実は同日、私も朝から足が攣り、しばらくもがき苦しんでいました。
    虫の知らせだったのでしょうか(良い意味だといいです)。

  2. 吉田奈那美 より:

    きつきつの路地を掻き分けるように進む電車、江ノ電にちょっと似てますね。
    街の景観にも、中国、フランス、日本など、いくつもの国の影響が垣間見えて面白いです。

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